*このブログは多大にネタバレを含んでいます。ネタバレしたくない方はここで引き返すか、以下WOW Presents Plusのリンクから本編を見てから読んでください*
I'm watching Down Under Grand Finale on WOW Presents Plus http://www.wowpresentsplus.com/videos/rdrdu-grand-finale
いやぁ…駆け足の一ヶ月半でしたね。直前のs13が史上最高に長いシーズンだったこともあり、そしてダウンアンダーは1本が50分ちょっととコンパクトだったこともあり(トップボトムだけ残されてセーフ組が帰らされてたep4までは何となくあったuntuckedが、全員残されて講評されるようになったep5以降はほぼなかったですし)いろいろあったこともあり、怒涛のように過ぎ去ったシーズン…という印象です。
なんだかここのところ他のシーズンではフィナーレ回でエリミクイーンたちが戻ってきて一緒にファイナルランウェイを飾る、みたいな演出が多かった気がしますが、今回はなかったのでそれが一番寂しかったです。コロナのせいで隔離とか難しかったのかな、それとも予算の問題かな…
ファイナルチャレンジは定番の、ルーの曲に合わせてそれぞれオリジナルの歌詞を書いてパフォーマンスをするというもの。ダンスが不得手と語っていたカレンさんも含めて、全体的にまとまっていていいパフォーマンスだったのではないでしょうか。キタさんの歌から入って、アートさんの力強いラップが続き、カレンもラップというかspoken wordsで繋いでのスカーレットのラップ、という流れがバリエーションに飛んでいて聞いていて楽しかったです。衣装もみんな可愛かった!
ファイナルランウェイもベストドラァグがテーマということで、もりもりエレガントドレスで魅せたアートさん(アートさんの衣装を見ると毎回「財力!」と思ってしまってすみません…で、でもガラクタ衣装制作チャレンジすらなんか高級感あったのだ…)、自分の「経理のカレン」というキャラクターを貫き通したカレンさん、最後の最後にどでかいギミックを持ってきたマイエンジェル・キタさん(同じダウンアンダー出身クイーンのs6コートニーの衣装を思い出しませんでした?)、洗練されたシルエットの美しいドレスのスカーレットと、それぞれの個性が出た衣装で眼福でした。
今回、ステージに向けた練習の前にいつものルーとミシェルとの会談が挟まれたわけですが、なんだかいつも以上に内面を、過去のトラウマをさらけ出せ、という感じの意図が見えましたね…ルーの大好きなvurnelabiltyが見たい、ということなんだと思うのですが、個人的にはそういうのはシーズン中にそれぞれを見ていく中で自然に漏れだしたり、本人の意思で語られるべきものだと思っているので、最終回でいきなり心の一番大事な部分に抉り込んでくるのはちょっと性急だと思うし、ファイナル直前にわざわざトラウマの扉を叩きに行かなくてもよいのでは…と思いました。勿論本人達にとってそれがよいきっかけになって、新しいいい一歩が踏み出せるのならばそれで良いんですが…
最後の最後の質問、「小さい時の自分に語りかけるならばなんて言う?」という質問や「どうしてあなたがNext drag superstarにふさわしいと思う?」という質問も、それぞれ心に響くものがありました。
ファイナルリップシンク、私この一人ずつやって、分割カメラで見る〜っていう形式大好きなんですよね!!アイドルのコンサートっぽい!普段のリップシンクもこれでやってほしい〜!みんなさすがエンターテイナーなので全員素敵でしたが、ここでごっついアダルトなネタをぶっこんでくるキタさんに大爆笑でした。んもう〜ダウンアンダーってそういうことなの!?
そんなキタさんが映えあるダウンアンダーの初代Next Drag Superstarに輝いたので、ダウンアンダーって本当にそういうことなのかもしれません。いやーよかったよかった。キタさん、すごくハッピーでみんなを元気づけるドラァグペルソナの下に繊細なハートがあって、今回ルーとの面談で話していたご家族、とくにお父様との関係の話もそうですが、胃切除手術を受けた話だったりとか、同胞であるアニータさんやエレクトラが去っていく時の辛そうな顔で盛大な拍手をするところとか、すごく人間味が伝わってきて好きでした。エンターテイナーとして活躍してくれるのも間違いないと思いますし、親しみやすいクイーンなので、すごく人に寄り添い、人に愛されるウィナーになるんじゃないかなと思います。本当におめでとう!!
世界平和が訪れた!!!!
いやー先週から本当どうなるの?シーズンを丸く収めるためにはこれしか選択肢なくない??みたいな感じで見てましたが(念のためですが、色々な諸々がなくても自分はteam Kitaだったと思います)よかったよかった。とはいえ、ファイナルパフォーマンスもファイナルランウェイもみんなよかったと思うんですよ。本当普通にイーブンに見て、えっみんないい、みんな応援したい、こんなにみんな良くて誰が勝つの?って思いたい…って歯痒い気持ちでした…ウィナーにならなかった3人もそれぞれ今回手に入れたものは大きいと思うので、これからのキャリアに役立てて欲しいと思います。
スカーレットは、番組で謝罪する機会を貰えたことをチャンスだと受け止めて、今後の活動は反省しているのを見せる場だと思って続けてくれればなぁと。それこそ一生続く長い旅になると思いますが、番組で素晴らしいパフォーマーであることも見せられているので、大変なことはあるだろうけど、真摯な心で対応して欲しいなぁと思います。カレンさんについても同じような気持ちです(カレンさんについてはもう少し問題が複雑で難しいなぁと思っていて…長くなるので末尾に書きますね)アートさんはカムバックの時に理由が説明されなくてすっきりしなかった!ということだけが懸念点だったのですが、本人がルーとの面談で、あそこで一度帰されて、戻ってきた時に考えすぎない方がいいんだなって分かったって憑き物が落ちた的なことを語っていたので、それだけで持ち帰るものとしては十分だったのかなと。以前からのファンの人も多いと思いますし、この番組を通して成長するところ、柔らかく人を受け入れることを学ぼうとするところを見せることができたのは、本人的にもファン的にも財産になったのではと思います。
はー終わった終わった、正直ダウンアンダーは毎回のように制作側への文句ばかり書いていたので、読む側も疲れたのではないでしょうか、すみません。基本は楽しい!とか好き!とかを書いて、それを伝播させるようなブログであったらいいなという方針なので、本編を見る前にいろんな人のTwitterやブログを読んで、うーんダウンアンダーはいいかな…ってなった、みたいな話も見かけたりしたので(私のブログが寄与してると思うのは自意識過剰かもしれませんが)人の視聴意欲を削いでしまっていたらどうしよう!と後半ビクビクしてましたが、でも未聴の方もお時間と元気があったらぜひ見てください、ダウンアンダー。リップシンクが毎回熱い、ココちゃんにはディスコの神が憑いている、懐から出てくるマイク、ランウェイは回を重ねるごとに良くなっていく、缶も口に入るし拳も口に入る!などなど見所もたくさんありますから!
ところでダウンアンダーが無事終わったと思いきや、23日からAS6のスタートですね。もう週2本更新が当たり前になっただけでなく、シーズンとシーズンの間がさらに短くなって、白目を剥く日々です…どこかで手を抜かないとと思いながら年明けからずっと1〜2本文章と絵を上げてますが、もしかしたらAS6から少しだけ火を弱火にするかもしれないし、相変わらずたーのしー!って強火のままかもしれません。いやでも「荒れないオールスターズはない」という格言が生まれたからな…またキャンキャン烈火の如く怒っていたらすみません!
〜カレンの話〜
楽しい話ではないですし、私も立場を決めかねていることなので、正直人と議論できるほど考えを熟せていないのですが、今の気持ちとして残す方が誠実なのかなぁと思い、書いておきます。
番組中でブラックフェイスでパフォーマンスを行なっていたことが明かされたスカーレットに対し、カレンの場合は、ゴリウォーグという黒人を模した人形を2歳のときからコレクションしていたことと、ゴリウォーグの絵をタトゥーで入れていたことが発覚して、差別主義なのではないか?と出演前から話題になっていました。現在は人形は埋め立て地に処分して、タトゥーは消したとのことで、謝罪をインスタグラムで行っています。
難しいなぁと思うのが、一つ目が、番組でそのことは明るみに出ていないということ。二つ目が、ドラァグのパフォーマンスの舞台でなく、プライベートでの話ということ。スカーレットの件がまな板の上に上がった時に、カレンはしれっとした顔で聞いてるけどあなただってそんな他人事で聞いてられる立場じゃないでしょ、と思ったのですけど、パフォーマーとして自分で演目として選んで人前で披露しているわけでない、プライベートのこと(かつ、反省と謝罪をしていて今は物理的に存在しないもの)で糾弾するのはどうなのかな、とも同時に思ったわけです。まあパフォーマンスをするのはパフォーマーであるからプライベートなことも考慮から外すことはできないんですが…少なくとも番組のジャッジとしては番組中に明らかになるものだけでなされるのがフェアだと思っているので…(番組だけ見ている人はこのシーズンをどう受け止めていたのか、興味のあるところではあります)
そして、なによりも、あるものが差別的かそうじゃないかって、時代やコミュニティによって感度が違ったりするじゃないですか。例えば、私が小さい時「ちびくろサンボ」と言う本が、どこの図書館にも児童館にも幼稚園にも当たり前のようにありました。でも、私が小中学生のころだと思うんですけど、「サンボというタイトルだったり、内容に、黒人差別的な表現がある」ということで自主回収対象になって、読み聞かせで聞いたことがある私たち世代とは違い、今私の子どもの世代では触れることがほぼない本になっています。現代の世で、その本は差別的な表現があるから良くないね、ってなることは頷けるのですが、例えば私の小さい時の本棚がそのまま保たれていて、ずっとその本が家の蔵書に眠っていて、時を経て今日その本が数十年ぶりに取り出された時に、それを所持しているから差別的だ!って糾弾されることがあれば、それは少し違うかなって思うんですね。カレンがどのような環境で育って、いつから、どのようなバックグラウンドで人形を集めていて、どのタイミングでタトゥーを入れて、どの段階で両方気付いて辞めたかとか、こちらには分からないので、この例え話ともズレると思いますし(最近突っ込まれるので私もしかしたろ例え話が下手なのかなって気付き始めました…)なんとも判断しかねるのですが…むずかしい…
結論としては、どんな人でも過ちは多かれ少なかれ犯すし、それを反省して二度としないと決めて正しい道を選んで生きていくことが望ましいと言う、それだけのことなんですけど。カレンもスカーレットと同様に、誠実に向き合った上で、活躍して欲しいなぁと思います。
さらにさらに余談ですが。
カレンの持っていた、またタトゥーで彫った人形「ゴリウォーグ」、クラシックピアノ畑の人であれば最初にこの単語を聞いて出てくるのはドビュッシーの楽曲、子供の領分第6曲「ゴリウォーグのケークウォーク」なのではないかと思います。この曲も、今も日本では全く意識する事なく普通に親しまれていると思いますが、ニューヨークのある音楽学校では演奏禁止になったり、別の演奏会では「ケークウォーク」とタイトルの一部のみ書かれたりしたりしているそうです。ドビュッシーが作曲した当初はおそらく差別を全く意識する事なく「そのとき親しまれていた文化の名称」と判断してタイトルをつけたのではと思っていますが、これも時代の変化によって変わっていくことの一つだなぁ…と思っています。曲そのものを禁止するのでなく、問題があると考えられるタイトルのみの変更などで対応されないかなぁと個人的には願うばかりですが…(アガサクリスティの「そして誰もいなくなった」のように…)